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NCC平和キャラバン2002
〜平和のみちすじを拓くために Part2〜


 初日はJR根岸線「本郷台駅」集合。前日に翌日の行動を確認する習慣で、今 回も前夜確認。始めて行く場所なので、インターネットで各線の時刻・所要時 間を検索して、行動時間を算出。便利、便利。

《あーすぷらざ》
 本郷台駅前には神奈川県立地球市民かながわプラザ「あーすぷらざ」があり ます。ここが今回のキャラバンの始まり。
 まず「国際平和展示室」を見学。ここは常設。望んで出向してきたという高 校の社会科教諭の丁寧な解説。単なる戦争展ではなくて、国際的な課題に応え ていこうとしているように思われたんですが、例に漏れず、県民が真に望んだ ことがかなり端折られてるということが伝わってきました。
 女性がどのように戦争に協力させられたかという、女性を切り口にした展示 については、戦後女性がどのように社会進出してきたかという説明が添えられ て、なるほど、なるほど。
 軍服と看護婦姿の七五三なんて始めて見たので仰天。戦争ごっこする子ども たちの写真、学童疎開など、子どもと戦争という切り口からは、国家総動員っ て、ほんと、子どもまでこんなにしてしまって、罪深いなって、改めてゾォー ッ。
 また、戦時に表れる部落差別については、その勇敢な行為を称え「軍神」と 呼んでいたのに、部落民とわかってからは「肉弾三勇士」に変わったというこ とも写真から説明されました。差別される人は、どんな状況になっても差別さ れるのかと、人間の差別意識の奥深さを思いしらされるエピソード。現代にお いては、アメリカで、最前線に出されやすいのが黒人という話しもありますね。
 「こども国際理解展示室」では、外国の民俗衣装を着てみたり、外国のゲー ムを楽しんだり、再現された家の中の様子を味わったりできて、身体で理解す るっていう仕組み。
 「サダコと折り鶴〜時を超えた生命の伝言〜」という特別展では、折り鶴を 掲げた像になった有名な被爆少女の全貌に始めて触れ、ここから世界的な活動 の広がっていることも知ることができました。

《ワークショップ〜多文化共生社会をつくろう〜》
 会議室でお弁当を食べた後は、このプラザを運営する国際交流協会に勤務し ている金迅野(キムシンヤ)さんのコーディネイトでお話を作ったり、パフォ ーマンスをしたり、多面的に物事を考える学習。一人ひとりが豊かな個性を発 揮する場面に立ち会う結果になったのも、なかなか愉快。

《わかちあい@ 私の異文化体験》
 夕食後は子ども中心のプログラムもあったんですが、私は異文化体験をテー マに話し合うグループに参加。「他民族との出会いに関する反発と許し」みた いなことを意図してたのかなとも思うんですが、田舎娘の私は就職したときの ジャズ・ミュージシャンとの出会いとショック、リードオルガンの礼拝ばかり だったのに、オルガニストのいない時新任牧師の妻さんがフルートを吹かれた 時の驚き、などを披露。
 一人ひとりがいろいろな生活体験を持っているし、必ずしも他民族との出会 いでなくても、個人同士でも国内の移動でも、異文化との摩擦はあるんですね。 そんなこんなで、結論的なことはなくて、いくつかの課題が投げ出された形。
 ☆異文化とは…国の違い・民族の違い/固定概念をこわす/性の違い(男の文 化、女の文化)/個人の違い/生き方
 ☆レイプされた女性・暴力の中で生きてきた女性との出会いを「異文化体験」 などと軽々しく言えない/なぜ自分は生きてるのかと問いながら生きてる人の 生活を文化だなんて言えない
 ☆文化とは価値体系
 ☆住井すえさんの言葉「文化とは命を守ること」
 ☆戦争文化、男性文化、なんていう言葉が成り立つのか
 ☆多文化共生のバトンを子どもたちに渡したい

《朝の礼拝》
 お二人の牧師の妻さんが31日と1日の朝の礼拝を担当。それぞれに個性があり、 私の体験にない形で、前回のキャラバンに引き続き、いろいろあるなぁって、 感動。キャラバンに参加した教会学校の生徒が作ってきた折り鶴のペンダント をそれぞれ隣の人の首にかけて「平安がありますように」って言葉を交わすの も始めての体験で、なかなかよかった。普段歌わない讃美歌もあり、やっぱり これも「異文化体験」と言えば言えなくはないかな。

《こどもの国》
 この辺でいうと森林公園のようなところなんですが、実は戦時中、弾薬庫だ ったところ。
 5歳の子どもが2時間も大人につきあって歩いて見学したのにはビックリ。 昼食も1時半すぎでした。ウチの孫じゃ、こうはいかないわね。日頃の生活が 偲ばれますね。
 「東京陸軍兵器補給廠田奈部隊填薬所」という長ーい正式名称を持つ田奈部 隊には、1000人以上の朝鮮人が連れてこられ、作業に従事したといいます。死 んでもいいかげんに葬られた現場の近くのお寺や、丁重に葬られたアメリカ兵 のエピソードを聞きながら、当時の鉄道跡や、学徒動員されて事故で死んだ生 徒たちの碑、などに立ち寄りながらこどもの国まで歩いたんですけれど、子ど もたちもよく歩きましたね。カンカン照りだったんですよ。
 園内には、弾薬庫の出入り口が何か所も残されてました。ドアがあり、「立 ち入り禁止」の札がついてるだけ。
 どうせなら戦跡として説明の看板を設置すればいいのにね。吉見百穴の場合 だって、調査した高校の先生たちが行政に掛け合って看板立てさせたんですよ。
だから、何回か行ったことのある場所だったのに、看板を見たのは前回のキャ ラバンが始めてだったんです。
 とても疲れましたけど、帰路、宿を提供してくださった教会の近くにある銭 湯で疲れをとりました。銭湯といってもこの辺にもある施設のような、いろい ろなお風呂があるんです。近頃の銭湯はこんなスタイルなんですね。

《わかちあいA ちがいのちがい》
 進行役の用意してくれた「これってヘンじゃない」っていう内容のカードに コメントしていくというプログラム。
 「音楽の授業でクラシックは聞くけどロックを聞いたりしない」とか「Aさ んは名前が一つでBさんは名前が二つ」といった具合。
 おかしなこと、制度を変えたいことは山のようにあるけれど、与論を作って いくことと両輪でなければうまくいかないのではないかという意見が出ました。  この時間帯、子どもたちは「平和のために」という歌を作ったんですよ。子 どもたちのこのキャラバンの感想を次々歌詞に組み込んでいく作業、きっと大 変だったと思うんですよね。でも、ちゃんと意味がつながっていて、曲もなか なかの出来で、楽しいこと、楽しいこと。
 歌詞をちょっと披露しますね。
 平和がある 平和がない/笑える 笑えない わからない/すいとう持って 平和 キャラバン/面白い 楽しい/だけど思った/戦争をしたくない/血が流れる 死ん じゃって泣いちゃう/ほんとうの過去がわかんない/帰ってきたら 麦茶がおいし い/平和のために サカナを食べよう/平和のために 鶴を飛ばそう/楽しいうたを つくろう/いい歌をつくろう

《川崎戸手教会》
 9/1は日曜日。在日大韓基督教川崎教会と日本基督教団川崎戸手教会の二手に 分かれて礼拝に参加。私は戸手教会へ。多摩川の河川敷に建っている教会。台 所の下は川の淀み。ゴミも浮かんでます。洪水に対処しやすいように、礼拝堂 というか礼拝室っていう感じなんですが、そこの床のカーペットをタイル式に してはずしたりはめたりしやすくしてあったり、戸には番号がふってあって、 はずして2階に非難させても、元に戻しやすいようにしてあるんですって。苦 心したり智恵を発揮しながらの礼拝も、スーパー堤防建設のため立ち退きを迫 られていて、また別の苦労が始まってます。
 この日、子どもの祝福式と高齢者のための花の日。月に一度の子どもとの合 同礼拝。たくさんの花が講壇を飾ってました。
 9/1と言えば関東大震災時の朝鮮人虐殺の日でもありますね。在日三世の孫 裕久(ソンユグ)牧師は、苦しんでる人を助けるため、いじめられてる人を救 うため、困ってる人と共に生きるための正義を求めよと説きました。そこには 平和の訪れがある。人々を怖れて黙るなどということがないように、と。

《多文化居酒屋フォーラム「GAREKI」》
 「過去を変えるな、未来を変えよう2!」〜歴史を刻む、心に刻む、未来に  刻む〜、とまあ、いろんなタイトルがあって、どれがメインだかサブだかわか らないんですが、とにかくマダン劇「GAREKI」を観ました、ということ。 マダン劇って、よく知らないんですけど、韓国の路上で披露される仮面劇のこ とらしいんです。その形も取り入れた政治風刺・歴史劇を中心に、若者たちの ラップ、ブレイクダンス、民族舞踊を組み込み、200枚に及ぶ歴史的証言写真 の映写と、ものすごいエネルギーを噴射していて、圧倒されました。
 平和キャラバンの天野さんも広島被爆を証言。今演じられた劇にも表現され ていた、朝鮮人の死体は「あと、あと」と捨て置かれたその現場にいた人とし て、身元の分からない死体をアメリカ軍のブルトーザーが圧しつぶして、その 上を舗装して道路にしてしまったと、涙で絶句しながらの証言。
 マダン劇上演にあたってのスタッフの言葉から一言ご紹介。
 平和は「いま、ここにある」のではなく、「自分たちの手でつくりだすのだ」 という視点から、「未来を変える」希望を語り合う場を創り出すためのきっか け・架け橋になること。



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